ミラノ・コルチナの快挙を聞きながら横丁老人の与太

衆院選と並行する形で耳目を集めているミラノオリンピック。イタリアと言えば西欧文化の中核であって、我々日本人にも現地を訪れたかどうかは別に、なじみのある国だし、街へ出ればピッザにスパゲティにとイタリア発祥のメニューが今や日本人の食文化の一部になっているほど、親しい感じのする国である。

そこで行われているオリンピック、なによりそのコルチナダンペッツオ、という地名に親しみがあるのは、かの猪谷千春選手の日本人初の銀メダル、というのが僕らの年代の反応だからだ。学生時代、35年卒の森永さんは当時松屋百貨店に勤務しておられた慶応OBのスキーの名手丸林先輩と知己の中で、松屋の応援があったのだろうが仲間内で丸林さんを囲むスキーバス、という夢みたいな企画をたててくれ、小生もそのお相伴にあずかって志賀丸池で二泊させてもらったことがある。このプランに、実に猪谷千春さんとなんと杉山進さん、当時の日本を代表する、へっぽこスキーヤには雲の上の人たちが参加され一緒に滑ってもらったことがあった。猪谷さんは温厚なジェントルマン、という表現がぴったりする方だった。当時まだ、(ウエ―デルンはどうすりゃできるのか)なんて言っていたくらいの小生をご覧になって、紳士らしく一つくらいは言ってやろう、と思われたのだろう、猪谷さんから、(うん、あなたのボーゲンはなかなかいいよ)と言ってもらったものだ。このプランで、使っていたザックに猪谷さん、杉山さんのサインをもらって後生大事にしていたのだが、理由は覚えていないが後輩に持っていかれてしまった。37年の八野だったか、もしかすると39年の堀川だったか相川だと思うんだが覚えていない。該当者がいれば教えてくれ(返せたあ言わないから)。

さて先日の朗報、女子ビッグエアでの快挙に関係がある与太話だ。スキーを長年やっても、丸池のAコースだの八方尾根は名木山の急斜面なんかでふうふう言っていた程度の小生に、スキーではないにせよ同じ雪の上でこのような神業を論じる資格があるわけはない。ただただ、彼女たちの神業に呆然としながら、拍手、感激しながらつまらんことに気を奪われた。何か。入賞した選手たちの名前のことだ。

村瀬心椛、金メダルおめでとう! という気もちはもちろんあるんだが、新聞記事で名前を見た時、その名前を読むのに苦労した。椛をかんばの木、と読むのは調べて分かったが、この名前を ”ここも” と読むのは思いつかない。それとチームメートが 鈴木萌萌、でこれをもも、と読むのも難しい。さらに深田茉莉、これは確かにどっかで見た名前だけど、次の岩淵麗楽はれいら。年齢から推察するに彼女たちの名前をお考えになったご両親は小生の子供と同年齢なのだろうと推察する。そりゃあんたの子供ならそうだろ、だから何さ、一緒にしないでよ、という反論は想定のうえでいわせてもらえば、最近の若い人たちの名前には、どういったらいいのか、(!)と考えてしまうことが多々ある。

編集子大田区立赤松小学校6年生の昔、ほのかな思いを寄せていたのは5年生3組のひろこちゃん(正式には浅野姓で、今を時めく同姓同名綴りもおなじ花形女優が登場した時には―あったりまえだろ、かんけえねえがー、なんだかキュンとしたもんだ)、だったし、親戚友人並べてみても女性陣はまずなんとか子ちゃん・さんがほとんどなので、この種のキラキラネームにはなじめない。しいて言えば、会社時代、名コンビといわれた秘書がやよいさんだった、くらいだ。かたや、昭和末期から平成の、なんといっていいか、昭和元禄2.0ともいうべき一種の平穏の中で青春を送った姪たちに言わせると、“子” が付くと何やらやんごとなき血筋を思わせることがあって、いかにも古めかしい、という風潮があるんだそうだ。それに、私っ達、苗字がなんたって 司 だもんね、と自分もそのやんごとなき血筋と思われたかとほのめかすのだが、本人がやんごとなき血筋には程遠い、かの竹下通りなどを徘徊していた実情を知る叔父には信じがたい。同じナカツカサでも、中務姓はたしかに貴族系らしいが、中司姓は平家一門の雑兵だそうで、多くが壇ノ浦の海に沈んだ。その生き残りの人たちが住み着いたのが今でいえば広島、山口あたりなんだと祖母から聞いたことがある(彼女も山口県出身)。今度の維新幹事長がどうなのか、聞いてみたい気もするが、ま、とにかく、名前って、もっとわかりやすくって書きやすい(ご本人が一生書き続けるもんだからね)方がいいんじゃねえの、とは思うし、PCの漢字変換もめんどくさいんだが。

ここまで書いて気が付いた。俺は何を言いたかったんだろ。はたまた、昭和は遠くなりにけり、と結ぶんかなあ。これから登場するあのアユム君、当たりの名前は読みやすいしご両親が彼に期待したことも想像できる。ま、カンケ‐ねえけど、しっかり飛んでくれよな。

(普通部OB 田村耕一郎)1956年、猪谷千春選手のコルチナでの入賞は日本を明るくしてくれた大快挙と、興奮し感激しました。そしてダートマス大学という名門大学の名を知りました。70年たち、若い人のスノーボードでは日本大国との活躍は凄いですね。連日嬉しいニュースが続き、政治選挙ニュースを吹き飛ばし感謝です。

猪谷さんが2位だった伝説のレース、1位はかのトニー・ザイラーだった。写真は飯田武昭君のご提供による。このレースを伝えたある記事は、(この日本人は猫のように滑り降りていった)と書いていたそうだ。また、黒い稲妻 を見たくなった。

(HPOB 小田篤子)以前メールに載せたことがあるかと思いますが、夫の知り合いのオーストリア在住の日本人女性(旅行コーディネーター)のご主人(オーストリア人)は古くから続く写真館を営んでいました。部屋には業務用のジャバラの写真機が飾ってありました。猪谷さんは、飯田さんのメールにありました、トニー・ザイラーについで銀メダルになったことで、オーストリアでは大歓迎されたようです。その知り合いの写真館の方が昔撮った、サイン入り猪谷千春さんの写真を、猪谷さんに届けて欲しいと言い、夫は、志賀高原の杉山進スキースクールに昔入っていたことから、杉山進さんにお願いしました。その後連絡はきていないようですが…

エーガ愛好会 (358) ダウントン・アビー・グランドフィナーレ (34 小泉幾多郎)

TV放映のエーガは観ているが、映画館での鑑賞は何年振りか。「ダウントン・アビー」TV版は、シーズン1の1912年から、1925年のシーズン6シリーズ52作が制作され、その間、映画が2作制作されている。その第1作(2020.1.19)は映画館で観ている。その後TV放映エーガは観ているが、映画館での鑑賞は、何年振りか記憶にない。この映画第1作については、2020年2月12日に新春映画三昧と称し、ブログに掲載されたが、「ダウントン・アビー」は貴族とその使用人との15年史を変わりゆく価値観と人生の集大成として、貴族文化の終わりと現代へ続く最終章が描かれた。TVでは、1912年から1925年に至る、シーズン6シリーズ、52話が制作された。この映画第1作は1927年ダウントン・アビーに国王夫妻が滞在する一報が、冒頭、蒸気機関車で通知されるが、TV版第1作の冒頭で、ダウンタウンの相続人がタイタニック沈没で死亡したことを通知することから始まる壮大な物語の始まりと対を成すものだった。

映画第2作新たなる時代へは、2022年にパリ在住の平井さんから紹介があり、1928年以降の屋敷の維持費用の工面に頭を悩ませる物語リが描かれたとのことだが、TV放映を期待して観ない儘、その後TV放映なき儘に(Wowowでは放映したらしい)見逃してしまった。

映画第3作は1930年代となり、屋敷が次世代へ託される時代に、娘メアリーは、離婚に晒されながら、貴族と使用人たちの新しい門出へ決着を付けられて行く。貴族文化に終わりを告げながらも終結を迎えるのだった。ダウントンの屋敷が次世代へと託されることになるが、父ロバーツから娘メアリーが経営者としての自立を、また使用人たちにも新たな門出が訪れる。ドラマティックな愛憎劇もあったが、ロケーションンの美しさ、衣裳の美しさ等ロケーションの美しさも楽しませてくれた。TVシリーズ完結から4年後2019年劇映画第1作、2022年第2作、2025年第3作と楽しませてくれた。

建国記念日‐紀元節のことです    (普通部OB 船津於菟彦)

大日本帝国時代には、紀元節や紀元2600年式典などの国家行事が行われ、校長先生は真っ白な手袋をはめ、奉安殿から教育勅語を恭しく取り出し、奉読されました。本年はめでたい紀元2686年です。官庁では、西暦ではなく当然のことながら令和と表記するよう指示されており、将来的には紀元表記が求められる可能性も示唆されています。これは出羽守の発言によるものです。
紀元2600年には、東京オリンピックや万博など、数々の奉祝行事の開催が予定されていましたが、戦争の影響により全て中止されました。テレビ放送局もオリンピック中継の準備を進めていたようです。

不思議とこんな難しい歌詞の一部が口ずさめますね

金鵄(きんし)輝く 日本の
栄(はえ)ある光 身にうけて
いまこそ祝へ この朝(あした)
紀元は二千六百年
ああ一億の 胸はなる

歓喜あふるる この土を
しつかと我等 ふみしめて
はるかに仰ぐ 大御言(おおみこと)
紀元は二千六百年
ああ肇国(ちょうこく)の 雲青し
荒(すさ)ぶ世界に 唯一つ
ゆるがぬ御代(みよ)に 生立ちし
感謝は清き 火と燃えて
紀元は二千六百年
ああ報国の 血は勇む
潮ゆたけき 海原に
桜と富士の 影織りて
世紀の文化 また新た
紀元は二千六百年

昨日は天気が良くて、気持ちよかったので亀戸天神梅まつりに行ってきました。

今日は雨みたいだ。菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」 橇ほど匂いはしませながサクラほど華やかさは無いけれど、如何にも日本的なおしとやかな華々しさは無いが美しい花だ。。未だ未だ咲いて居ます。

(編集子)神武天皇にさかのぼるこの国が建国2600年になる、とされたのが昭和15年,編集子はまだ3歳、だからわかるわけはないが、兄や母が口ずさんでいた、この ”きげーん にせんろっぴゃーくねーん” という一節は幼いころから知っていた。憲法が世界の実情に対応するべく改められたとき、どんな歌がうたわれるのだろうか。

しかし建国記念日の当日、それを語る報道番組は見当たらなかった。読売新聞ですら、1行の記事も見当たらなかった。なんとなくおさまらない感じがした。

乱読報告ファイル (60) なんとモーパッサンを読んだのだ (普通部OB 菅原勲)

フランスはギイ・ド・モーパッサンの中短編10編ほどを編纂した「脂肪の塊」/「ロンドリ姉妹」モーパッサン傑作選中の中編「脂肪の塊」(1880年、翻訳:太田浩一、発行:光文社古典新訳文庫/2016年)を読んだ。
「脂粉の塊」と言う題名から真っ先に受ける印象は、真面なものではなく、正にドロドロしたものだ。その内容もその通りで、「脂粉の塊」と綽名された娼婦が主人公となっている。
普仏戦争(プロシャ、ドイツ)により、フランスのルーアンがプロシャに占領され、その内の10人ほどが、プロシャの総司令官の許可を取り付け、フランス軍の支配下にあるル・アーヴレに辿り着くことを画策する。乗客は、ワイン問屋を営んでいるロワゾー夫妻、伯爵夫妻、上流階級の夫妻、二人の修道女、それに、民主主義者、「脂粉の塊」と綽名された娼婦。
この旅の途上、小生にとって誠に許し難い事態が発生する。トートと言う町の旅籠で一泊するのだが、翌朝の出発の準備が全く整っていない。どうやら、「脂粉の塊」が当地はプロシャの士官の要求を拒んだことが、留め置かれている原因らしいと判明する。そこで、人間の持つ醜いエゴイズムが赤裸々となる。その一つは、伯爵が、彼女を外に連れ出してこう説得する。「・・・それでも、あの士官の望みをかなえてやるのは嫌だというわけかな。そうした要求には、いままで何度も応えてきたのではありませんか」。もう一つは、ホテルに残った連中が、二人の修道女から、「・・・たとえ、よからぬ行為であったにせよ、その動機いかんによっては、しばしば賞賛されることもございますから」との言質を取り付ける。一晩明けると、無事、乗合馬車は出発する。ところが、途中での食事に対する感謝もなければ、この一夜に対する労いもなく、最後まで汚物でもあるかのように扱われ、「脂粉の塊」は、全員からほっておかれる。途中のディエップに到着と同時に、泣き崩れる「脂粉の塊」で、話しは終わる。何とも酷い、途轍もなく酷い話しだ!こんな愚にもつかぬ話をフォードが映画でやる筈はない!器は、確かに、いずれも駅馬車と乗客だろうが、その中味は正に水と油であり、全くの別物だ。つまり、モーパッサンの「脂粉の塊」とフォードの「駅馬車」は何等の関係もない。
しかし、小生、一体、何故、こんな本を態々読んだのだろう。それは、映画「駅馬車」(1939年)を監督したジョン・フォードが、「駅馬車」は、実は、このモーパッサンの「脂肪の塊」だと語っていることを知ったからだ。そこで、今更なのだが、野次馬根性で、このモーパッサンを読んで見た。確かに、駅馬車(この本では、乗合馬車と言っている)とそれに乗っている人たちの人間模様を描いている点では、それこそ、エーガ「駅馬車」と言えるだろう。しかし、これは換骨奪胎であって、フォードの「駅馬車」の白眉である駅馬車とインディアンとの壮烈、熾烈な追っかけっこは全くないし、当然のことながら、モーパッサンにはインディアンのイの字も全く出て来ない。しかも人間模様を描くと言っても、フォードには、いつもの通り人の温みはあるものの、間違ってもモーパッサンの様にドロドロしたものはいささかも存在していない。
有体に言ってしまえば、フォードの「駅馬車」は「脂粉の塊」の駅馬車と乗客を刺身のつまとして拝借しているだけで、逆に、「駅馬車」は、「脂粉の塊」とは全く無縁のインディアンの攻撃なくして成り立たなかった。そう考えると、何故、フォードが「駅馬車」はモーパッサンの「脂粉の塊」だと言ったのか、その真意が、ボンクラの小生には皆目分からない。
最後に、職業に貴賤なしと言うが、この本は、娼婦にたいする誠に汚らわしくも卑劣極まりない途轍もないイジメがある。最後は娼婦の涙と共に終わるのだが、繰り返すが、これは途轍もなく酷い。
「ボヴァリー夫人」の作家であるフローベールも、傑作だと言って絶賛しているが、小生に言わせると、愚作、駄作以外の何物でもない。あっ、そう言えば、「ボヴァリー夫人」も愚作、駄作だった。

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アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン、通称ギ・ド・モーパッサンは、フランスの自然主義の小説家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇を遺した。 エミール・ゾラの主宰した短編集『メダンの夕』に入れた『脂肪の塊』の評判が高く、作家としての地位を確実にした

 

さて一夜明けて・・・・ (普通部OB  船津於菟彦)

”地滑り的大勝”の高市政権が推進するであろう政策をまとめてみた。

自民党・日本維新の会連立政権合意書にある主な政策
①スパイ防止法
②対外情報庁創設
③「5類型」撤廃
④防衛力の抜本的強化
⑤憲法改正
⑥日本国国章損壊罪
⑦皇室典範改正
⑧旧姓使用法制化
⑨外国人政策の厳格化

憲法改正について
日本国憲法第96条第1項は、日本国憲法の改正のためには、「各議院(衆議院・参議院)の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」旨を規定しており、憲法を改正するためには、国会における決議のみならず、国民への提案とその承認の手続を必要とする旨が憲法上規定されている。これは参議院で否決される可能性が高いため発議は難しいかも。

(編集子)フナッは悲観的なようだが、今回は絶対に憲法改正発議まで踏み込んでほしい。今回の機会を逸すれば、多分、我々の目の黒いうちに実現はかなわないであろう。子供のころではあったが戦争の悲劇を体験し、占領下の生活からつねに ”明日はよくなる” と信じることができた世代のひとり、また、学業を曲がりなりにも終えて社会に出れば高度成長の波にのることができた、まことに幸運な世代として、時代と世界情勢に応じた、新しい憲法まで見届けてその掉尾を飾りたい。サナエノミクスとやらがどうなるかはわからないが、これだけはやってくれよな。

雪の鵠沼     (41 斉藤孝)

庭一面に植えられた真っ白なスイートアリッサムは淡雪のようでした。それが2月8日早朝、本物の真っ白な雪で一面豪華に飾られました。鵠沼はモノクロな墨絵の美しさです。哲学的雰囲気になりました。

 

2月8日は選挙投票日です。保守も革新も選挙中は愛国者でした。一緒に仲良く論戦しました。左や右などイデオロギーで政治を左右する時代は終わりました。

日本の未来像を描き、民主主義と自由平等、そして革新技術を尊びましょう。日本は技術立国であり移民を歓迎する国です。世界中から憧れる日本であってほしいですね。日本に来てくれて学び、企業を起し活躍してください。

真っ白なスイートアリッサムは、いつでも大歓迎してくれます。

 

さて、きょうの結果はどうだったのかな

明日は国の命運が決まるかもしれない衆議院選挙だが、全国的に雪の予想だ。考えてみると、桜田門の大老暗殺、赤穂浪士の吉良邸討ち入り、226事件など、この国の歴史的事件はどうも雪が付いて回るようだ。全国、雪の具合はどうだろうか? 突然の思い付きにご応答いただいた各位、感謝。ミセス高市はどのへんで雪を眺めてるんだろうかね。

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(51 実方 = 多摩八王子周辺)                     多摩西部の我家、朝一では5cmくらいでしたが、昼くらいには10cm近くになりました。多摩美近くの道路と、たまたま今日出かけた高幡不動の写真です。

(34 小泉 = 横浜)
衆議院選挙の日、偶々横浜地方にも珍しく雪が降りました。昼頃投票に行ってきましたが、積雪は2センチ程度、それでも選挙の途中では、葉が花に代っていましたので、シャッターを切りました。
(大学クラスメート 飯田武昭 = 兵庫県宝塚市)

昨夜からの雪は昼過ぎまで降り続き、珍しく積雪になりました。投票所は、徒歩3分ほどの所なので9時過ぎには済ませましたが、西風が強く雨笠が煽られました。

(普通部OB 船津於菟彦 = 東京下町あたり)
春の雪  やや風か強く ブラパチで退散 フラッシャ焚ければ雪がハッキリ写るんですが準備できず(; ;)ホロホロ!!!!駄作を—
中司さんの要望に応えて直ぐに撮影に行きましたが風が強くて傘が飛んで行った。太陽が僅か一瞬出ました。

(51 宮城裕之 = 栃木県宇都宮)

宇都宮は自宅周辺でも、15cmの積雪がありました。1月31日に那須朝日岳にて新年登山を試みましたが、気温マイナス20度、風速24mと、吹き飛ばされそうになり撤退、那須北温泉で新年会を実施してきました。

(HPOB 坂東正康 = 徳島市近郊)

四国・瀬戸内の朝は見事な快晴の青空で、天気予報は午後から雪がちらつく可能性あり、と言っていますが、本当かどうか。しかし冷え込んでいるのは確かです。「ヘイ、シリー、外の温度何度?」とアップル社のネットワークスピーカーに向かって聞くと「屋外の温度は1度です」と答えました。

さて、我が国の未来は晴れか、曇りか、豪雨か? あと何時間か、報道を待とう。

フレイルは始まっている!  (普通部OB 篠原幸人)

先日、渋谷のドコモに新しい携帯電話を買いに行きました。そろそろ発売中止になりそうな「らくらくフォーン」から通常のスマホに戻そうと思ったからです。

渋谷の街は我々の学生時代とは全く様変わりしていることはご存じの通りです。バスを降りて宮益坂方向に歩いて行ったのですが、上り坂でどんどん若い人達に追い越されてゆきます。そこで前を行く若い人と同じテンポ(ピッチ)で歩いてみました。そうすると何とか同じスピードで歩けます。でも疲れるのですぐ止めましたが。

歩行の速度は歩幅の広さとピッチ(足を前に出す回数)で決まるのは当然です。多少、大股で歩けば、身長の差はあってもそれほど歩幅は変わらないとして、ピッチは明らかに若い人より落ちているのです。一番の問題点は、足をあげているつもりなのに、しっかり大腿部(膝)から上げないで、すり足にようにあまり足全体が上がらなくなったことだと気づきます。そうです。それがフレイルの始まりなのです。

私はまだ週1回はテニスかゴルフをやりますが、ゴルフのパッティング(グリーン上でパターを使って打つストロークのこと)の際に、ボールがどのくらい傾斜で曲りそうかを しゃがんでみる癖があります。しかし 立ち上がる際に、最近は「ドッコイショ」どころか、手を下につくかあるいはパターを杖のように地面に突いてでないと、サッと立ち上がれなくなりました。これは厳密にはルール違反ないしマナー違反です。その原因は大腿四頭筋という両足の大腿部の筋肉の力が衰えはじめているのです。 これが以前にも説明した筋肉の老化現象(フレイル)の一つなのです。更に筋肉が細くなってしまうサルコペニアという現象も起こってくるのです。いやですね~。

予防法はないかって? 今更 プロテインを飲みまくっても手遅れかもね。テレビで宣伝している錠剤もどうですかね~。スクワットは良いかもしれないけれど、皆さん、毎日50回を2回なんてできないでしょう?

これから、歩く時は小学生のように、しっかり大腿部をあげるようにしましょうね。手はあまり振らなくてもいいけどね。足をシッカリ挙げて歩かないと、足のつま先が地面につっかかって、転んで顔が傷だらけとか、足の骨折なんてことも起こりますよ。

(編集子)ドク、俺はもう完全にフレイル状態らしいんだな。それにしてもまだ週一ゴルフ、なんてやってるわけ?

 

ただ感服あるのみ=環境問題に独力で挑んだ親友の話

数日前、この冊子が送られてきた。今まで何回か本稿でも紹介した、編集子の高校時代からの友人山川陽一は慶応大学山岳部から日本山岳会に参加、環境問題に関心を持ち続け、広く有志をつのって高尾山系小下澤領域での森林保全活動にかかわったのち、徒手空拳、子息の勇一郎君とともに多摩市地域で太陽光発電事業に挑み、さらにメガソーラーの建設と地域の環境保全の両立と事業化に成功した。結局典型的なサラリーマン生活とその延長から抜け切れずに惰眠をむさぼっている自身に引き比べて、その根性に我が友人ながら感服の一言しかない。

彼が送ってきてくれたのは、その間に社員や仲間たちに熱い思いを語りかけてきたブログをまとめたものである。いつも物静かにしかし断固として行動してきた本人らしく、この貴重な記録を市販する意思はまったくないようなのだが、自然を愛する仲間たちにはぜひ読んでもらいたく、無理を承知で何冊かを分けてもらう積りだ。巻末にあるあとがき、だけを今回は紹介しておく。

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昨今、メガソーラーが社会問題化しています。自然エネルギーを作るために貴重な自然が失われ災害を誘発するとすれば本末転倒です。これがひと握りの悪徳業者だけによるものでないところに大きな問題があります。

一方、”太陽光発電=悪” のレッテルが貼られ、太陽光発電を全否定するような風潮がありますが、大きな間違いです。太陽光発電自体がわるいわけではなk、その実現の仕方に問題があるのです。

国連の気候変動枠組条約第21回締結国会議(COP21)で、世界の気温上昇を産業革命以前にくらべt1.5度に抑える目標が立てられました。日本は条約国の一員として2030年までに温室効果ガスを2013年比で46%削減する約束をしていますが、その達成には太陽光発電の拡大は不可欠です。

環境に優しく地域に愛される再エネ事業、農業と太陽光発電を完全に両立させたモデルがここにあります。私たちは耕作放棄地を活用してソーラーシェアリングを建設し、農業を復活させると同時に発電事業も行っており、ソーラーシェアリングの優良事例として高く評価されています。

皆さん、ぜひ私たちの農場を見に来てください。

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”私たちの農場”、相模湖ファームは下記を参照されたい。

https://sagamicofarm.co.jp

 

 

 

 

出羽守、いらっしゃいませんか?

本稿で、幾度か ”出羽守” という人種?について私見(というか、言ってみれば嫌悪)を述べた。何につけ、我が国の政治や社会現象に対する意見を、権威づける意図で ”欧米では” とか ”先進国では” と ”では” を振りかざす輩を、この接尾詞をもじって ”では”の守 という、と誰だったかに教えられて使ってきた。もちろん、正論もあるだろうが、底流にいつまでたっても西欧文化=先進文化と崇め奉る語調が気に入らないから、今後も使うつもりだ。

さて、今朝の読売新聞のトップ記事は、現在衆院選挙の争点になっている消費税減税もしくは廃止、という論調に対する海外メディアからの逆風についてであるり、すべてが ”海外では” の大合唱である。さて、消費税問題を論じる出羽守は党派のいかんを問わずに大勢を占めるようだ。諸君、今回はいかがお考えであろうか。

かたや米国におけるトランプ政治の在り方もまた、我が国からは想像もできない、理解を超えた現象として我々はとらえているのだが、表面化している現象はともかく、あれだけの暴挙(と外国人たる我々は考えてしまうのだが)がともかくも実現されてしまう現在の米国には、やはりそれだけの理由に納得する人たちがいるわけで、かれらは ”ニッポンでは” とは考えないのだろうか。

米国での争点に移民問題がある。しかしもともと移民が作り上げた国なのだから、移民に関する態度が我が国とは大きく異なっていい.こういう国”では”兎も角、三千年の長きにわたって単一民族単一文化を築き守ってきた我が国 ”では”当然、対象がちがっていい。この問題についてもまだ、”西欧では” という論者がいるのだろうか。

今朝はわけもなく寝起きが悪い。

(普通部OB 船津) 参考まで、補足です。
出羽守とは本来出羽国の国司を表す役職であるが、国名の「出羽(でわ)」と、「海外では」のような連語の「では」を掛けて、主に揶揄を込めて使われる。また、「守」という字から、「偉そうに上から物を言う」というニュアンスも込められている。

特に海外と比較して日本を批判する人を「海外出羽守」と呼ぶ。また、「欧米では〜、日本では〜。だからもう日本は“終わり”だ!」とばかり話している人は「尾張守(おわりのかみ)」という[

いよいよ日本も高市出羽神誕生の様子ですなぁ。コチトラも寝付きが悪いなぁ

(42 下村) 恐らく欧米人は、”他国では・・・” などと考えないのではないでしょうか。映画などを見ていても欧米人は自分の意見に自信があるのでしょうか、一方的に自己主張する人が多く、バーッとまくし立ててハイ、おしまいと話を終えてしまうからです。 相手がどう考えるか/他者がどう思うかなどと考えているように見えません。 昨今のトランプ発言などその最たる例ではないでしょうか。

 これに対してわが日本人は、「自分の発言に確固たる自信がない(寄って立つ信念が弱い)」、「性格的に弱いところがある」、「者と同じ行動をしていれば安心」といった心情から、つい他と同じような動きに傾きたくなる(他国の事例を持ち出したくなる)というのが原因のような気がします。
 政府高官の発言でも、「他の国の状況をみながら/歩調を合わせながら・・・」と自国に確たる信念がないためか、常に他国の動向を気にして行動しているように見えます。